趣味の多様化と便利なインターネットの効果で欲しい物が手に出来る良い時代。平成22年ラジオの欲張りを再開をしました。大正時代にシャープの製造販売鉱石ラジオにより日本のラジオ製造産業のスタート国策の戦前戦後を通じラジオによる外貨獲得と近代国家の形成ラジオ産業の大きな力製造の陰に隠れた縁の下の力持ちの多数の存在を知り其の時代時代に活躍した製造者の詳細を知りたくなりました、お越しの皆さんの持っている資料の提供をお願い致します、製造者詳細な記録資料が残されていない敗者復活の無い企業の戦い勝ち組の勝ち誇った姿は今も公開されていますがこの一方土台的な役割で消えた全国の老舗の姿下町・路地裏・四畳半工場始め全国の木工・金工・紙工の匠達の苦心工夫の姿を掘り起こして公開できればと思います。
 今日確認できる断片的なメモ書き始めます 皆さんのご支援とご協力により確実な正確なものにと願います。
何時ものことです年代やれろつは回りません気ままに 思いつく まんまの楽書きです、鉱石のメーカーやトランジスタのメーカーも真空管も電池管もおもちゃのラジオ乃製造者社。・・、りき丸
 

 年   号  備 考 概 略 等  製 造 者 社 名 ブランド 存在確認資料寄せ集め拾い上げ資料
 1912年 早川徳次氏,金属加工業を創業
 1925年 国産第一号鉱石ラジオ製造販売
 1929年 交流式真空管ラジオ発売
 1930年 ラッパ型スピーカーを発売

 1961年 電卓・太陽電池などの研究開始電子レンジ開発太陽電池式トランジスター        を発売
シャープダイン・sharp・HAYAKAEA・早金属工業早川徳治金属工業研究所
 1924年 合名会社七欧商会設立。
 1927年 七欧のスピーカユニットのブランド名
 1928年 七欧無線電気商会(七尾菊良)。ラッパ型スピーカ5種日本放送協会の認         定品になる。
 1931年 マグネティックスピーカ内蔵の3球エリミネータ受信機ナナオラ100型販売。
 1933年 ブランド名NRC
 1957年 東芝傘下に入った。
 1961年 東芝100%資本の子会社に。NRCブランドはつづく。

       (全くの別の会社でナナオ・七旺無線株式会社1953-1956年頃ナナオブ        ランドのダイヤルが存在しています。)
Nanaora・七欧商店・七欧無線電気商会・七欧無線電機(株)・ナナオラ,
 1921年 山中製作所創立。東京電気(現,東芝)のラジオ受信機サイモホンの下請け。
 1925年 ダイヤモンドブランドで直流電源のラジオ,スピーカ(ホーン型)販売。
 1928年頃にはエリミネータラジオテレビアンブランド。
 1929年 山中無線電機製作所に改名。特許王の安藤氏から山中無線電機は訴えら      れる松下幸之助が日本のラジオ界の将来を考え私財を叩いて特許権を買       収し国内解放し事なきを得る。
 1933年 満州電信電話会社が中国東北部(当時の満州)で放送事業を展開し,ラジ       オ受信機も販売したが,このOEM製品を製造した。
 1937年頃日中戦争が深刻になると国内は一挙にぜいたくを省いた省資源型のラジ       オに傾く。テレビアンも国策型ラジオを製造。放送局型ラジオ製造。
 1942年 軍需指定工場となり無線通信機製造。電波兵器なども作る。
 1956年 東芝の傘下にラジオはST管からミニアチュア管時代もテレビアンブランドで       販売していた。その後,東芝の受注生産を専用におこなったようだだが詳       細不詳。
Yamanaka Electric-Televian・テレビアン・山中製作所・山中無線電機・山中電機
 1917年 松下幸之助が大阪府東成郡今の大阪府東成区で電球用ソケットの製造販       売を始める当時は幸之助の妻と妻の弟である井上歳男三洋電機創業の        3人で営業。
 1918年 松下電気器具製作所創立。
 1931年 ラジオの生産を開始
 1932年 ラジオ製造の特許を買収同業に無料公開し日本の戦前の立役者です。
 1944年頃兵器類の部品受注軍需品生産。
 1952年 オランダのフィリップスと提携日本ビクターと提携ケンウッドや韓国の亜南        (アナムグループ)と合弁など。
 1965年 Technicsブランドが初めて使用される。
 1966年  英字表記のNATIONALロゴを国内向け製品には、PANASONICロゴを海        外向け製品国内向けトランジスタラジオに使用開始。「ナショナル」が米         国で商標登録されており使用できなかった「パナソニック」に落ち着くまで        NATIONALPANASONIC(ナショナル・パナソニック)で米国への輸出          が認められ以後KADOMAX(カドマックス)「マツシタ」「マーツ」を経て「パ        ナソニック」となっている。
Panasonic・National・松下電器産業・松下無線・ナショナル・パナソニック
   
 1924年 田辺商店THS CondorのブランドでT.H.S.コンドル受信機の販売
 1930年 日本放送協会(東京中央放送局)が第2回ラジオ展覧会を開催,エリミネー       タ・ラジオを懸賞付きで募集,坂本製作所(翌年には田邊商店)のコンドル        受信機と屋井乾電池ラジオ研究所の2件が1等に輝いた。田邊商店は当        選号を翌年1931年コンドル受信機」「コンドル高声器」として市販した。
 1937年 坂本製作所は現日本電気の子会社?日本電話工業株式会社に吸収合併       され日本通信工業に。
 昭和7年11月,日本電話工業株式会社設立。昭和12年8月日本電話工業株式会社・      株式会社三陽社製作所・株式会社坂本製作所・日本周波電気時計株式        会社を合併、日本通信工業株式会社と商号を変更一時期全波受信機を        製造。昭和62年4月,日通工株式会社に商号変更。平成13年6月,日本        電気株式会社よりキーテレホン及びPOS端末に関する事業を会社分割によ      り承継し、商号をNECインフロンティア株式会社に変更。
Condor THS Radio・コンドル・坂本製作所・田辺商店・日通・日本通信工業・日通工株式会社・NECインフロンティア株式会社

 1935年頃 合名会社高岡正義商店東京市神田区田代町11番地のラジオの卸問屋。
        自らのブランド「オーダー受信機」とその工場を小石川に持ち,日本のポ        ータブルの元祖「ビオンハンドラジオ」の販売元。
 1940年 オーダー受信機は工場が独立白山無線電機株式会社電池式家庭用ラジオ       の製造を開始。
 1943年 瀧澤無線電機工業株式会社を合併、帝国電波株式会社と改称。
 1946年 「ビオン」はtakizawa Radio Electric/瀧澤無線電機株式会社。
 1946年 国民型受信機クラリオン国民1号2号,放送協会認定機種。
 1948年 日本最初のカーラジオ、バス用拡声装置を開発、製造販売を開始。
 1963年 日本最初のカーステレオを開発。
 1968年 日本最初のカセットカーステレオを発売。

Ohda・オーダー受信機・合名会社高岡正義商店・白山電池合名会社ラヂオ製作所・ビオンハンドラジオ・クラリオン・帝国電波(株)・瀧澤無線電機工業
 1936年  (株)八欧商店設立。
 1949年 .八欧無線電気(株)
 1951年 八欧無線(株)商標はゼネラルとなる。
 1955年 八欧電機(株)と改名
 1975年 富士通と資本提携
 1985年 商標と社名を富士通ゼネラルに。
Yaou・ゼネラル・精華・興亜・八欧商店・八欧電機・八欧無線・興亜無線電機製作所・富士通ゼネラル

 1873年(明治6年)に田中久重は工部省(当時の政府機関、産業の近代化を推進)       から受注した電信機を開発していましたが、受注拡大に伴い、1875年(明治8年) 東京・銀座に工場を創設しました。これがのちの田中製造所の創業で、東芝の発祥。また、1878年(明治11年)に当時学生であった藤岡市助が工部大学校(現、東京大学)に招聘されていたエアトン(W. R. Ayrton)教授の指導の下、日本で初めてアーク灯を灯しました。この頃の電灯は全て海外製であり、国 産の電球を製造するために、1890年(明治23年)に白熱舎を創設ラジオ放送開始の頃にラジオ受信機を製造していたが後にラジオの自社製造を中止1932年頃にはOEMで東京電気はOEM製品,ウサギ,ツバメ,オリオン等のブランド名のラジオを販売。1939年 東芝ブランドの東京芝浦電気トランスレス管ラジオを発売。41,51型。市場調査的なところがあり,後に放送局型受信機や電灯線放送ラジオ有放型など、戦後はマツダラジオとして販売。
 創業も特異な状態であり開発日本の初物の大御所科学技術の総合製造平成の今も原子力開発や特殊な分野の潜水艦などのスクリューや巨大な発電システム設備のパイオニアであり先端科学の未来に向かう医療関連関係のエキスパートです、民生用品の開発も盛んです、トランジスタラジオの開発も日本での最初の可能性を持つ 謎の企業です。非公開の商法情報も多くトランジスタ製のラジオも特別注文製造機が存在するかもと思ってますが現物との遭遇が出来てません、試作特別進呈品が気になる。 サイモトロン真空管で有名な東京電気の再生式4球受信機。東京電気の製造ではなく、OEMと言われる。デザインにはアールデコの影響が見られる。スピーカと本体が一体となったごく初期の受信機。欧米では真空管を製造する大メーカーがラジオセットも量産し、安価で高品質のラジオが普及していくが、日本では人件費の安い中小零細メーカーとの競争に負けて大手電機メーカーはラジオセットの製造から手を引いてしまう。東京電気も例外ではなく、オリオン号受信機も短期間で市場から消え去り、同社は後に東京芝浦電気となるが、1946年まで特殊な製品を除きラジオセットを作ることはなく、主に真空管の供給のみでラジオ業界にかかわることになる。この、大メーカーがラジオを供給しなかったことは日本のラジオ業界の近代化に大きな悪影響を与えたと思われる。

TOSHIBA・Matuda・マツダ・東芝・東京芝浦電気・東京電気・オリオン・ウサギ・ツバメ・松田電気・ORION・TEC・
 1935年 今村電機の製造品と       してラジオ受信機がカ       タログリストにて広告       掲載確認。
 1936年 日本電機産業株式会       社がペリー放送聴取       用受信機
 1937年 販売シャープダイン特       選ペリー愛国1935の       製造が行われたよう        です、が未確認不詳       で全容の解明と把握       が困難です断片的な       資料のつなぎ合わせ       状態詳細な情報お持       ちの方情報の提供お       待ちいたします。
Perry・King・ Raidio Receiver-Imamura Electric(1935,37)/ペリー,キング受信機-今村電気(株)

 1933年 設立
 1935年頃からラジオを多数製造日本放        送協会認定品も製造。
       ブランド名ウェーブ戦時中は石       川無線電機となり放送局型受        信機を製造。戦後も国民型ラジ       オを作るその後ソニーの協力        会社となる。
 1987年  ソニー傘下の「ソニーボンソム        」の同系子会社坂戸工場と岩        槻工場。

Waveウェーブ受信機・石川製作所・石川無線・石川無線電機・聯合電機商会,
 1925年 創立 池田無線電機製作所    1929年 改組 昭和無線工業株式会社
  1937年 第一回ラジオ共進会にてオリン       ピック680型受信機優秀品入賞

 1 
Olympic・オリンピック・SMK 聖火のロゴマークを採用。

上段が推定の1937年の共進会での出品作品の画像 アールデコ調の流行のスタイルが感じられますね ラジオも装飾置物的な活用の時代ですね、手作り苦心工夫技ありの姿高級機戦前の丁寧な確かな物造り感じますね。





中段は昭和の大発明のトランジスタラジオ偏平小判型の日立製の組み込み貴重高額当時は本革のケース入り、トランジスタの自社製造は出来なかったようですね爆燃的なトランジスタラジオ産業日本の平均的な組立工場ですね戦後の復活V字のマークに聖火のマーク入り横型の円板ダイアル006P9Vの仕様サイズもポケットサイズの典型のトランジスタラジオに仕上がっています








下段が推定SMKの製品の一つかと思います SMKのロゴ以前のオリンピックの表記 この後からは海外に向けてSMKの多用の時代になっていったと思います 平成の現在も活発な企業活動してます、パーツ製造ですね。


   USA製のオリンピック テレビジョン ラジオ製の聖火のマーク入り上記の関係関連の強い姿USA製の物かOEMかは???詳細な情報お待ちいたします。 Olympic 聖火のロゴマーク
電池管ラジオの初期のタイプベーク製筐体で蓋が電源のスイッチコンパクトな仕上がりと持ち運び用のハンドル付き詳細は初期の電池管四本の組み込み、初期タイプの大型機です。
 1935年頃R obin1935ロビン・         東洋電気(株)
             製造品や創業関係         関連も不詳です詳         細な情報お待ちい         たします。
ロビン・東洋電機株式会社
 1933 エリミダインが唯一の手      がかりとしてありました。
 1935年頃 Clover Raidio             Receiver -Hagi           Industry Trade・          クロバー受信機          萩工業貿易会社
1939〜1940年にはラジオから撤         退の模様。
クロバーラヂオ詳細不詳
昭和11年の広告に掲載確認萩工業貿易株式会社電気ラヂオ部 クローバーラジオ 
 1935年頃からヤマハ弦楽器の          美しい木工キャ          ビネットを採用し          たラジオを販売、          大阪変圧器が直          接ラジオを販売           していたが大平          洋戦争が開戦す          る頃にラジオ部           門は大阪無線と          なった。放送局           型ラジオも多数           製造した。戦後           は国民型ラジオ          を製造したが            1949年不況が           深刻となり倒産(          関西では5大メ           ーカーの3つが           倒産) ヘルメス・Helmes・大阪変圧器・大阪無線










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 こうした不吉な顔の宣伝が倒産に追い込んだのかもね 不吉なもの 新聞社も放送局も電気会社も 消滅していくのかもね。

 1936年 創業の戦前の老舗
       ブランド アリア

       戦前放送局型ラジオ       を戦後は国民型ラジ        オを販売。
 1950年代に始まったTV競争に       出遅れ1955年に倒産1955年頃のアリアとしては最後        の頃のトランジスタラ       ジオ製品が存在して       ます。
ARIA・ミタカ無線電機株式会社・ミタカ電機
  昭和初期にラジオ用の蓄電池        等を製造する会社         だった「加藤工場」、        交流時代を迎えて         昭和5、6年頃にトラ        ンス製造に進出、そ        して各種パワートラ        ンスを販売するとと        もにラジオも販売し        た。
 1936、7年頃には日本放送協         会の認定ラジオも製        造した。日中戦争開        始後、次第に統制         色が濃くなり自然撤        退してしまったよう         です詳細不明。
Siiku radio・シークラジオ(株)
 1936年 創業日本精器(株)は       ブランド名クラウン 
       戦前は日本放送協会       認定の受信機を製造       また戦時下にあって        は,放送局型受信機       11號,122號,123號       を製造,営業品目は        1941年直流受信機,       無線機械,交流受信       機,交直両用受信機       とある。当時,工場は       蒲田,鮫洲,大井林        町の3つあった。また       戦後,国民型受信機       を製造したことで知ら       れる。1950年頃の倒       産の模様です正確な       資料が無く詳細不明
Crown・クラウン・日本精器株式会社
 1948年 創立 
       無線器具・ラジオ等の       パーツメーカー

 1950年代初頭には電池真空管       式ラジオを製造
 1955年 PR-200ミニチュア管        5球のスーパーや          HR-100ゲルマラジオ       日本初のトランジスタ       ラジオの輸出メーカー 1956年 先年に倒産したブラン       ド名クラウンと同じク        ラウンをブランド名に       採用。
 1956年 トランジスタラジオキッ       トの発売。
 1960年 ラジカセの製造販売、       ラジオとの複合機の        製造新タイプの製品        の開発海外向けの製       品開発が盛んな会社
Crown・クラウン・旭無線電機(株)
 1936年 Melody・メロディラジオ       青電社 
      残念資料無く不詳です      何方か情報お願い致し      ます。
Melody・メロディラジオ・青電社
 1936年 Regal・リーガル受信        機・丹下ラヂオ製作        所 
          残念資料無く不詳で        す何方か情報お願い       致します。
Regal・リーガル受信機・丹下ラヂオ製作所
 1936年 Takachiho-go・高千       穂号・高千穂号受信機      製造本舗・放電コンパ      ニー 残念資料無く不       詳です何方か情報お       願い致します。 Takachiho-go・高千穂号・高千穂号受信機製造本舗・放電コンパニー
 年号不明 コロナー受信機 残        念資料無く不詳です        何方か情報お願い        致します。 山屋工業所
広告昭和16年に
R-20号24-26-12A-12F
R-50号57-56-12A-12F
R-60号57-56-12A-12Fの三機種の掲載確認も住所等は無く詳細掴めない。
1910年 日本蓄音機商会
1939年 日本電気音響株式会社
1963年 下記日本コロンビアに吸収合併
DENON
 1910年 日本蓄音器商会株式会社発足        (FWホーン社長)シンホニー・ローヤ      ル・メリカン・ユニバーサル・グロー       ブ等のレーベールにより片面盤レコ      ード発売ニッポンノホン蓄音器4機種の国産品
1939年 国産テレビ受像機完成高島屋で公開

1969年 日立製作所 と 業務提携 
コロンビアラジオ・日本蓄音器商会

 1927年 日本ビクター蓄音器株式会社設立       米国ビクタートーキングマシンカン       パニーの日本法人として設立生産       から販売現地法人として発足する
 1929年 米ビクターはRCA社に吸収合併こ       れにより、RCAビクターに移行、        RCAは海外進出は合弁の方針で       東芝・三井からの出資を受ける。
 1931年 東洋一と呼ばれた蓄音機・レコー        ドの造工場第一工場建設RCA積        極的な技術導入を進め、拡声器や       ラジオなど音のメディアへの積極        的な進出をする
1938年RCAは資       本撤退株式を日産コンツェルンに       譲渡。RCA社から、犬のマークと        ビクターの社名の日本での使用権       を譲り受ける。日産コンツェルンの       株式は東京電気(東芝)に売却さ       れ、東芝傘下に。RCAと資本関係       が解消した後も研究・技術開発で       交流国産初のテレビ開発や、オー       ディオ技術へと結びつく。戦局が        悪化社名を日本音響(株)と改称。       生産工場も軍の管理となる。戦後       の労働争議の混乱、親会社が東        芝から(現みずほコーポレート銀        行)へ移行する。
 1954年 松下電器産業(現パナソニック)と       提携社長に元海軍大将の野村吉       三郎が就いた。松下からの紹介に       より、住友銀行出身の(現三井住       友銀行)百瀬結が副社長に。松下       本体からは、専務の北野善郎を派       遣するにとどまった野村はRCA社       を訪問し、松下との関係を修復、        技術支援契約を結び従来の関係       に戻す。

ビクターラジオ・日本音響株式会社
ローヤル・原崎無線工業株式会社
この広告の出された時期は短波の受信はご法度の時代です やや不思議な広告の存在になってます また 1500MCの表記は誤りですね。。。・・、、、
 1923年 創業 原口電機製作所と原口無       線電機株式会社は同一か??       原口のラヂオ・原口無線電機株式会社・キャラバン・Caravan
 1955年頃トランジスタラジオの最初期の        製品ソニー製の偏平小判トラン       ジスタ1石の組み込みイャホン       式ソニーが特定の製造者社に       トランジスタを最初期に販売し       ていた時期の完成品としての        販売品は極少数と思います         社外のSAKYRA SHOJIが完成       販売が先行したかもの大きな        期待の一つです。
       ソニーのトランジスタは個人販       売はされたがパーツとしての供       給はしてないとのソニー しか        し 他社の製品にソニーのトラ       ンジスタが組み込みされてます       ね、不思議な現物無数。

     年号不明 資料無く不詳     です 何方か情報お願い     致します。
雑誌に掲載の広告です 誤植によりT6Rの表記にされてますがTGRですこの広告が1955年の雑誌で発行の年号が確定している事から日本初のトランジスタラジオとして??? なお 1石ではトランジスタラジオとは呼べないとのご意見が大先輩から しかし 独断と偏見 りき丸城 ラジオ乃小間独断通用として扱います ご意見があればお聞かせください また 関係関連の情報お待ちいたします 古き時代の正確な事実の保存と公開が大切と思います。
THK・トランジスタラジオTGR-21・SAKURA SHOJI KKさく良商事
デリカエレクトロラ・三田式ラヂオ・DELICA・三田無線研究所販売部 現物の姿は昭和9年頃の軍用等
エルゴー・木村電機合資会社
 1935年頃の製品の存在確認し       てます。ラジオ草創期       から「赤門」ブランドで       知られる東京、本郷        のラジオ電気商会東       京ローカルの一つで        すね
       詳細不詳です詳細情       報お待ちしています。
ユニバーサル・UNIVERSAL・(株)ラヂオ電気商会 
 1933年頃の五球ミゼット型高二       5球受信機を見てます       詳細不詳です詳細情       報お待ちしています。 ミカサ・MIKASA 合資会社三笠ラヂオ
 1932年頃の3球再生式VICTOR       号の製造を確認 シンガー SINGER受信機 VICTOR号 三共電機工業株式会社
 1931〜2年 複雑な状態ですね三菱電機         が米ウェスチングハウス社         からライセンスされた技術          でタイガー電池製作所に製         作させ販売は(株)菱美電機         商会。後に製造販売をタイ         ガー電機が実行。 コンサートン・Concertone・ (株)菱美電機商会三菱電機が製造委託タイガー電池製作所が製造販売を(株)菱美電機商会。1936年にコンサートンラジオの販売権を取得しタイガー電機(株)と社名変更。三菱電機は戦後「ダイヤトーン」ブランドでスピーカを製造するまでラジオ業界から離れた。
 1936年頃の製造品が存在のようです 詳        細不詳情報お待ちしています BK標準受信機・伊丹号・BKラヂオ普及協会
 1936年頃の製造品が存在のようです 詳細不詳情報お待ちしています ライジング・(合)サン電池製作所
 1934年頃の日本製真空管式ラジオの最       小サイズのひとつ。幅14cm高       さ21cm奥行10cm木製キャビネ       ットに交流式の3球ラジオ受信       機の製品が見られます、ポケッ       トラジオ500-Pの背部の画像横       文字の表記で輸出用の製造品       かな戦前の輸出外貨獲得国策       の推進企業かな?? リバー・RIVER・KAWA RADIO WORKS・川ラジオ製作所
 1936年頃の製品 VENICE・ミカド電気研究所
OCEAN・ELMAN・大洋無線工業・エルマン・オーシャン
ローウエル・大洋無線
VENDIX・栄光電機
GEMS・ジェムズ・五味無線工業
スライスらー・佐藤電機産業潟Nライスラー電気
KING TON・キングトーン工業
リンカーン電機株式会社・トランスレス式ラジオ・完成品・キット製品・多種多様なラジオの製造販売低価格品が多い。
リンカーン・協和電機
ライト・帝国無線
ラッキー・鳥居電業
ルノー・城南ラジオ
ロッキー・大阪ラジオ
ルビー・久保電気
ロビー・東洋電気
詳細不詳 製品画像は入手出来ました MOCHICRAFTさん 山梨県在住SNSのラジオ仲間からの資料画像協力 ワシ号・鷲号産業
ワッター・渡邉ラジオ
ワンダー・白江ラジオ
日本無線電信電話・NRP・Nippon Radio & Telecom・JRC・日本無線
1946年 創業 愛興電業社
1951年 設立  愛興電気産業株式会社
1959年 社名をブランド名のアイワに変更
2002年 ソニーに吸収される
AIWA・アイワ・愛興電業社・ 愛興電気産業株式会社・一時期は高級オーディオの生産

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りき丸のラジオ製造者社見聞録